映画「オッペンハイマー」の重要性を紐解く3つの考察

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こんにちは、SATOです。

今回は映画「オッペンハイマー」の、重要性を紐解く3つの考察について、全力考察していきたいと思います。

映画「オッペンハイマー」は、クリストファー・ノーラン監督による、2023年のアメリカ合衆国の伝記映画です。

今作は、カイ・バードと、マーティン・J・シャーウィンによる伝記「オッペンハイマー 原爆の父と呼ばれた男の栄光と悲劇」の映画化で、クリストファー・ノーランによる脚本、監督、共同制作で作られ、制作費約1億ドルの大作です。

至る所に散りばめられた伏線や秀逸な演出など、かなり深掘りできる作品になっていると思います。

本文をお楽しみください。

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映画「オッペンハイマー」あらすじ

第二次世界大戦中のアメリカで、天才物理学者 J・ロバート・オッペンハイマーは、世界初の原子爆弾開発というとんでもないミッションを任されます。

彼はロスアラモスの研究所に、集めた優秀な科学者たちと、昼夜を問わず研究に没頭します。

想像を絶する困難や倫理的な葛藤と戦いながらも、ついに人類史上初の原子爆弾開発に成功するのです。

しかし、広島と長崎に投下された原爆がもたらしたものは、想像を超える凄まじい破壊と多くの犠牲者でした。

オッペンハイマーは開発者としての責任と、罪悪感に深く苦悩し、戦争終結後、彼は核兵器の国際管理を訴えるのですが、冷戦の激化と赤狩りの嵐の中で、政府から敵視され、公聴会で追及を受けてしまいます。

原爆開発の緊迫感、戦争の残酷さ、科学者の葛藤、そして壮大な映像美は見逃せません。

映画「オッペンハイマー」は、科学者としての栄光と、人としての苦悩を壮絶に描いた歴史ドラマになっています。

映画「オッペンハイマー」の重要性を紐解く3つの考察

1 雨が意味するもの

今作は雨が、降り頻るシーンで始まり、雨が降り始めるシーンで終わりを迎えます。

かなり重要なモチーフとして、雨を意図的に使っていることは間違いありませんが、どんな意味を持たせているのか?

これは、雨粒が原子爆弾そのもので、雨が落ちる瞬間の水紋が、その被害を示していると思います。

映画のラストでも原子爆弾の被害が世界を焼き尽くすシーンがありましたが、雨が降るように原爆が降るかもしれない世界になってしまったことを示唆しています。

また、トリニティ実験当時は大雨が降り、断念しかけます。

あの時降った大雨は、地球からの最後の勧告だったのかもしれません。

天気に意味を持たせて象徴的に使っているあたりは、ノーランらしいと思いました。

かなり粋な演出ですよね。

語りかけたり、言葉にせず、情景で伝えるというのは難しいことですが、間違いなく印象に残る映像になっています。

2 モノクロである必要性

公聴会でストローズが言及されるシーンは、モノクロで描かれていますが、これはノーランも公言している通り、オッペンハイマーの主観と客観を分断するための手法です。

カラー描写はオッペンハイマーの主観で描かれる物語であり、モノクロ描写はオッペンハイマーを客観的に捉えた視点です。

そう意識して鑑賞してみると、確かにモノクロシーンは、オッペンハイマーの顔のアップがほぼないんですよね。

オッペンハイマーという、一人の人間を描くカラーと原爆を開発した科学者を描くモノクロでは、彼へ感じる印象やイメージがかなり異なり、2つの視点を交互に描くことで、私たちの感情を揺さぶっていました。

また、原爆投下前と投下後で、世界がまるっきり変わってしまったことを意味しているのではないでしょうか。

先ほどの、天気に意味を持たせた演出同様、色で違いを表現する演出も、ノーランの素晴らしい才能が成せる技だと思います。

今作で改めてノーランの事が大好きになりました。

3 帽子が飛ばされる理由

アインシュタインとオッペンハイマーが池のほとりで会話するシーンは、この映画で最も重要なシーンです。

オッペンハイマーが世界を滅ぼしてしまったことを再確認する場であり、最初の考察でもお話しした、”雨”が降り始めるシーンでもあります。

この場所にオッペンハイマーが行く直前に、アインシュタインのハットが、風に吹かれて飛んでいきます。

このシーンがすごく印象的で、重要な要素を持つシーンだと直感的に感じたので、考察していこうと思いますが、まずこの”ハット”は、科学者の権威のモチーフとして用いられていると思います。

アインシュタインは帽子のイメージが、あまりないのですが、劇中ではオッペンハイマーがハットをつけています。

このシーンの1つの意味合いとして、科学の新たな時代が到来したことを意味しているように思います。

物理学の世界で神として崇められていたアインシュタインの時代から、量子力学という新たな扉が開き、オッペンハイマーが台頭してきたことを示唆するために、アインシュタインの帽子が吹き飛ばされ、帽子を被ったオッペンハイマーが現れました。

2つ目は科学の力で世界が大きく変化し、科学の力で世の中は制御できなくなってしまったこと。

つまり、科学が世界を崩壊させたことを印象付けるために、地球が起こした予期できない”突風”で、科学の象徴”ハット”が飛ばされてしまうシーンを描いたと感じます。

ある種の科学の敗北を表現するために、科学の神とも言えるアインシュタインの帽子が脱げたのでしょう。

世を知るための、世を良くするための科学が、その力で地球を滅ぼしてしまう。

この悲惨な結果はオッペンハイマーだけのせいではなく、人類全ての過ち、責任だと思いますが、最初の段階で、こうなる結果を予想し、防ぐことが出来たのは、オッペンハイマーだけだったかもしれません。

悲し過ぎる結末があの瞬間に詰まっていたと言えるのではないでしょうか。

まとめ

以上で『オッペンハイマー』の考察を終わっていきます。

考察をまとめるのにあたり、高校で世界史を勉強した以来、本当に久しぶりに歴史に触れたんですが、当時勉強しているテンションで触れる歴史と大人になって思考し、整理するために触れる歴史とでは、見える景色が全然違った気がします。

こうやって今の世界が、どう形作られたのかを、今一度考え直させるために、ノーランはこの映画を作ったのだと思いましたね。

ちなみに、調査の過程で知ったのですが、原爆投下の判断を下した時のトルーマン大統領を演じたのは、ノーラン映画常連のゲイリー・オールドマンだったみたいです。

全然気づかなかったですね。

一瞬しか登場しないのですが、憎悪の対象として描くには十分過ぎる時間でした。

オールドマンは何も知らされずに演じていたとのことで、天才と天才のなせる技だと思います。

映画の内容自体は重く、日本人の私たちには特に難しい作品だったにも関わらず、表現や演出の素晴らしさには、見入ってしまうものがありました。

気が早いのは承知の上で、ノーランの次回作が見れるのはいつになるのでしょうか?

オスカーも手にしたので、ノーランの得意領域でもある空間や時間を使ったSF作品や低迷しかけているアメコミ系の作品とかをぜひ観てみたいですね。

どこかでノーランの人生を振り返りたいと思っているので、そちらも楽しみに待っていただけたらと思います!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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