映画「哀れなるものたち」の考察ポイント3選

こんにちは、SATOです。

今回は映画「哀れなるものたち」について、気になった所を3つのテーマに分けて、感想を交えながら考察させていただこうと思います。

映画「哀れなるものたち」は、ヨルゴス・ランティモス監督による、2023年のアメリカ合衆国とイギリスとアイルランドの合作による、SFロマンティック・コメディ映画です。

ゴールデングローブ賞の作品賞と主演女優賞を受賞し、ヴェネツィア国際映画祭でも金獅子賞を受賞、アカデミー賞でも作品賞と監賞を含む11部門でノミネートした素晴らしい作品です。

「R18」の作品でありながら、ここまで高い評価を得ている作品って結構珍しいですよね。

毎回変わり種で話題を掻っ攫っていく鬼才・ヨルゴス・ランティモス監督は、人を選びますよね。

沼る人は沼るし置いてけぼりの人は、永遠に置いてけぼり。

本作は、そんな奇人監督の集大成とも呼べる作品になっているのではないでしょうか?

本文をお楽しみください。

映画「哀れなるものたち」あらすじ

19世紀、不幸な人生に絶望したベラは、自ら命を絶ってしまいます。

しかし、天才外科医ゴドウィン・バクスターの手によって、胎児の脳を移植されて奇跡的に蘇ります。

生まれ変わったベラは、赤ん坊のような無垢な状態で世界を経験していき、何も知らないベラは、ゴドウィンに名前を与えられ、育てられます。

しかし、成長していくにつれて、ベラはゴドウィンへの依存と、自分が特別な存在であることに葛藤していくのでした。

そんな中、放浪の弁護士ダンカンと出会い、ベラは未知の世界への旅に出ることを決意します。

旅の中でベラは、様々な人と出会い、様々な経験をしていきます。

偏見や差別、理不尽さに直面しながらも、ベラは持ち前の純粋さと強さで困難を乗り越えていき、そして、次第に自分自身と、自分が生きる意味を見出していくのでした。

果たしてベラは、真の自由と幸福を見つけることができるのでしょうか?

映画「哀れなるものたち」は、命の意味、自由、そして人間の可能性を探求する感動作で、独特な映像美と、エマ・ストーンの圧倒的な演技が光る作品となっています。

映画「哀れなるものたち」鬼才が送り出す超傑作に翻弄

1 モノクロとカラー

本作は場面によって、モノクロとカラーでシーンが別れていました。

最初はゴッドウィンの屋敷のシーンは、モノクロで、外の世界はカラーという区別だと思ったんですが、ベラがパリからゴッドウィンの屋敷に戻ってきたシーンは、カラーのままでした。

一体、どんな理由で色味の区別をしていたのか?

個人的には「ベラの見ている世界」の広さと深さで使い分けをしていると感じました。

映画冒頭、ベラはまだ脳が赤ん坊のままで、人として成長していません。

わがままで自分勝手で、行動に理由が伴っていない状態で、ゴッドウィンが活動範囲を制限しているので、ベラの世界はあの屋敷以上は広がらずに、ずっとモノクロの世界が続いています。

しかし、法律家のダンカンに駆け落ちを提案され、自分の意志で外の世界に足を踏み入れると、あたり一面カラフルなシーンへと切り替わり、彼女の世界は一気に拡張されます。

そして、リスボン、パリなど世界を旅する訳ですが、ゴッドウィンの体調不良を知り、自分が生まれ育った屋敷へと帰還します。

このシーンはモノクロではなくカラーのままです。

これは、ベラ自身が世界横断の旅で成長を遂げたことで、見えている景色(屋敷)こそ同じであれ、その感じ方や感受性の部分で、多様な考え方を持つことができたというのが大きな違いだと思います。

例えば、モノクロの時はゴッドウィンのことを父親のように愛し、彼の言う事全てに従っていました。

しかし、自分の過去と自分と同じような被験者をもう1人生み出していることをしっかりと理解したベラは、ゴッドウィンたちを”モンスター”だと侮蔑しています。

このように、精神面で大きく成長したことで、見える景色が変わっていく様子を、モノクロとカラーという手法で、視覚的に表現していました。

日常が色づくと言うような言いまわしがありますが、実際に映像として色をつけることで、

華やかさやワクワク感をとても感じることが出来て、より物語に入り込んでいくことが出来たように思います。

2「哀れなるものたち」とは

今作は邦題が『哀れなるものたち』、原題が『Poor Things』となっており、そのまま翻訳すると、「Poor Things=“かわいそうなもの”」という意味です。

このタイトルの意味について、少し深掘りしていきたいと思いますが、まずは、主要人物が全員”哀れ”な人ですよね。

自らの医療技術を試すべく、遺体を改造し、

死を望んだヴィクトリアをベラとして復活させたゴッドウィン。

そんなゴッドウィンの悪事を知りながらも、ベラへの好意を隠しきれずに、挙句、ダンカンにとられるマックス。

遊びのつもりが、奔放なベラに本気で恋をしてしまい、財産も地位も全てを無くしてしまったダンカン。

そのダンカンからヴィクトリアのことを聞きつけ軟禁するも、ベラによってヤギの脳みそを移植されたアルフィー大佐。

探求、愛情、財産、権力と各男たちに欲のテーマが存在し、その中心にいたベラは性欲に取り憑かれていました。

欲に取り憑かれた『哀れなるものたち』を描く中で、さらに伝えたいテーマが隠されていると思っていて、それはベラの人生を”哀れ”だと決めつけること自体が、”哀れ”ではないかという視点です。

男たちの欲は、全てベラを支配するためのものでした。

なので、”支配”するということは”哀れ”だと思います。

ただ、ベラ自身の欲は全て”自由”や”解放”に向かったものです。

「食べたいもの以外は食べたくない」

「気持ちいことはずっとしたい」

「たくさんお金を稼ぎたい」

「いろんな本を読みたい」

「貧しい人をお金で救いたい」

さまざまな成長と共に、世界が広がるとともに彼女の欲望は変わっていくものの、それは決して”哀れ”ではなく、1人の人間としてのあるべき姿であると思います。

そして、世界であらゆる経験をしたベラは、支配の象徴であるアルフィー大佐をヤギへ変えるという、一見、”哀れ”とも取れる行為ですが、それは”自由”に向けた行動でした。

実際、自由や解放というのは、たくさんの人が求めていますが、いざそれらを掴み取る為には、覚悟や乗り越えなくては行けないことがたくさんあり、簡単に出来ることではないですよね。

逆に支配というのは、嫌がられることが多いですが、支配されてしまった方が楽だという考え方もあると思います。

支配される事を選ばず、『哀れなるものたち』を断罪する、決して哀れではないベラの強さを描いた作品だと思いました。

3 圧倒的な映像美

もう、考察でもなんでもないんですけど、やっぱり映像が、かなり美しくておしゃれでしたね。

ウェス・アンダーソンとかウディ・アレンとか、センスはそういう監督たちに近い気がしました。

加えて、凄くトーンが絵画っぽいんですよね。

特に船のデッキのシーンとかわかりやすいんですけど、背景が少しうねっているというか、絵の具で描いたようなつくり方をされていて、どのシーンを切り取っても、まるで美しい絵画の中にエマ・ストーンが存在しているかのような、そんな幻想的な映像に、うっとり見惚れてしまいました。

エマ・ストーンの衣装もかなりファッショナブルで、場面が変わる度にワクワク感がありました。

どんな衣装でも、美しく、カッコよく着こなせるのは、流石としか言いようがありません。

また、彼らの生活を覗き込んでいるかのような魚眼レンズで撮影されたシーンや、自然の中に佇む不思議な関係性を切り取るように広角レンズで撮影されたシーンなど、さまざまな撮影方法を駆使して、その時々の温度感を形成していたのが印象的でした。

内容はさっぱりわからなかった人でも、映像の美しさというのは間違いなく感じられた作品だと思います。

まとめ

以上で『哀れなるものたち』の考察を終わっていきます。

プロモーションがおしゃれで綺麗な映像で世界を冒険して、エマ・ストーンが可愛くてみたいな感じで、めちゃくちゃ勘違いした人多いんじゃないですかね。

隣に座っていたカップルが、観賞後にすごく気まずそうな感じでした。

でも、R指定の作品って、大々的には公共の電波で言えないですし、プロモーションが難しいですよね。

第96回アカデミー賞の授賞式で、エマストーンは『ラ・ラ・ランド』に続いて、2度目の主演女優賞受賞になりました。

35歳で2度受賞となると本当に凄すぎますね。

それだけでなく、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞、美術賞も受賞し、考察でもお伝えしたとおり、とても美しい、素晴らしい作品だと評価されました。

アカデミー賞についても、時間作れたらまとめたいと思うので、そちらも今後楽しみにしていただけたらと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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