【考察】映画「哀れなるものたち」に込められた3つのメッセージ

映画考察
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こんにちはSATOです。

今回は映画「哀れなるものたち」を3つのポイントから解説していきます。

映画「哀れなるものたち」は、2023年に公開されたヨルゴス・ランティモス監督のSFロマンティック・コメディ映画。

この映画は、胎児の脳を移植されて生還した若い女性が、新生児の視点から世界を見て、成長していくストーリーです。

「哀れなもの」とは一体なんなのでしょうか。

それでは、本文へどうぞ。

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映画「哀れなるものたち」のあらすじ

時代は9世紀、ヨーロッパ。 

不幸な生い立ちから絶望し、自ら命を絶った若い女性ベラ。

しかし、天才外科医ゴッドウィン・バクスターの手術によって、奇跡的に蘇生します。

彼の行った手術は、なんと胎児の脳を移植するという前代未聞のものだったのです。

新生児の脳を持つベラは、世界を全く新しい目で見ることになります。

言葉も知識も経験も何もない彼女は、まるで赤ん坊のように全てを学び、成長していきます。

そんな彼女を導くのは、放浪者の弁護士ダンカン。

彼はベラを旅に誘い、二人で大陸横断の壮大な冒険に出発します。

旅の中で、ベラは様々な人々と出会い、様々な経験をします。

偏見や差別、暴力、そして愛情。

大人の体を持つ少女は、子供のように純粋な心でこれらの出来事と向き合い、自分自身を見つめていきます。

一方、ベラを蘇生させたゴッドウィンは、自身の行為に葛藤を抱えていました。

彼は倫理的な問題に苦悩し、ベラの運命を案じます。

旅を通して、ベラは次第に自我に目覚め、自らの意志で行動し始めます。

そして、ダンカンとの関係にも変化が訪れます。

果たして、ベラは真の自分を見つけ、自由を手に入れることができるのか?

映画「哀れなるものたち」を筆者が3つのポイントで考察

考察ポイント1:モノクロとカラー

今作は場面によってモノクロとカラーで描写が分けられていました。

作中で明示はされていませんが、ベラの見ている世界の色であると筆者は考えます。

冒頭でのベラはまだ脳が赤ん坊のままで精神が未発達です。

赤ん坊のように身勝手で行動がめちゃくちゃなのでゴッドウィンが活動範囲を制限しているため、ベラの精神は屋敷の中から出ず、モノクロの世界が続いていると考えられます。

しかし、法律家のダンカンに駆け落ちを提案され、自分の意志で外の世界に踏み出すと、あたり一面がカラフルに移り変わり、彼女の世界は広がります。

そして世界中を旅するのですが、ゴッドウィンの体調不良を知りかつての屋敷に戻るのですが、そこでの景色はモノクロに戻らずカラーのままです、

ベラが精神面で成長し、見える景色が変わっていく様を、この映画はモノクロとカラーという手法で表現していたのだと筆者は考えました。

考察ポイント2:「哀れなるものたち」とは

今作の邦題は「哀れなるものたち」、原題が「Poor Things (=かわいそうなもの)」となっています。

「哀れなもの」とは一体なんなのでしょうか?

結論からいうと、主要人物全員が哀れであると考えられます。

死を望んだものの「ベラ」として生き返らされてしまった主人公

自らの医療技術を試すために遺体を改造するゴッドウィン

遊びのつもりがベラに本気で恋をした挙句、財産も地位も全て失ったダンカン

など、ベラとその周囲にいた男たちはそれぞれの欲求に取り憑かれていました。

しかし、ベラを支配しようとしていた男たちは見ていて哀れでしたが、自由になろうとしていたベラについては、本当に哀れなのでしょうか?

人間の性について考えさせられる作品です。

考察ポイント3:女性の権利

ベラとダンカンは旅の途中パリにいきますが、そこで出会った売春婦のオーナーから仕事によって自分の生活を成立させることを学びます。

これによってベラは誰にも支配されず、自分で生きていけるようになりました。

ベラは知能が子供であるからこそ、自分の欲求に正直に、衝動的に行動できます。

彼女が社会的に解放されて男性(ダンカン)と対等以上の関係になります。

これは現実世界での女性の権利問題と近いものがあると、筆者は考えました。

まとめ

今回は映画「哀れなるものたち」についての考察でした。

映像表現も設定も、かなりエッジの効いた作品でしたね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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