こんにちはSATOです。
今回はドラマ「スパイダーマンNWH」について、タイトルに込められた”真”の意味や、さりげないセリフやシーンの意味を3つのポイントに分けて考察していきたいと思います。
映画「スパイダーマンNWH」は、ジョン・ワッツ監督による、2021年のアメリカ合衆国のスーパーヒーロー映画です。
この映画は、2019年の「スパイダーマン・ファー・フロム・ホーム」に続くシリーズ3作目です。
既にいろんな方がこの映画に浸っているとは思いますが、今回は皆さんが更に余韻に浸れるように、独自の視点から考察していきたいと思います。
本文をお楽しみください。
映画「スパイダーマンNWH 」あらすじ
ミステリオの暴露により、正体がバレてしまったピーター・パーカーは、ドクター・ストレンジに助けを求め、記憶操作の魔法を依頼します。
しかし、魔法は失敗し、マルチバースから過去のヴィランたちが現れてしまうのです。
ヴィランたちを元の世界に戻すため、ピーターは過去のスパイダーマンたちと協力して戦いますが、これまでにないピンチが幾度となく襲いかかります。
果たして、ヴィランの群れから人々を助けることが出来るのでしょうか?
仲間との絆と自身の成長を通して、真のヒーローとして覚醒していく姿は必見です。
映画「スパイダーマンNWH」は、愛する人との別れ、そして新たな旅立ちを描いた感動の物語です。
「ノー・ウェイ・ホーム」というタイトルに込められた切なすぎる”真”の意味とセリフやシーンが意味する独自視点を3つのポイントで考察
考察1. 「No Way Home」の切なすぎる意味
まず大前提ですが、僕は本作「No Way Home」を、MCU版スパイダーマンのオリジンだと思っています。
つまり、本作でスパイダーマンというヒーローが、改めて正式に誕生したということです。
MCU版のスパイダーマンは過去2シリーズのスパイダーマンとは異なり、スパイダーマンの起源として描かれた作品が始まりではありませんでした。
そもそもスパイダーマンが初お披露目となったのは、2016年に公開された「シビルウォー/キャプテン・アメリカ」で、2017年に公開された「ホーム・カミング」では、既にスパイダーマンになった後のピーターを描いています。
常にMCUと隣り合って描かれてきたホームシリーズのスパイダーマンですが、ピーターはその若さゆえ、スパイダーマンであることに浮き足立っていましたし、自分がアベンジャーズの一員であることにプライドを持っていました。
例えば「ホーム・カミング」冒頭のスマホで自撮りをしているシーンなんかは、完全に浮ついているただの少年でしたし、その自覚の無さをアイアンマンも注意していました。
でも気持ちは分かります。
自分がもしスパイダーマンだったら誰かに知ってもらいたいし、自慢したくなりますよね。
僕なら我慢できないと思います。
そして「ファー・フロム・ホーム」では、アイアンマンの後継者としての姿が描かれていました。
「ファー・フロム・ホーム」の敵であるミステリオも、アイアンマンを仇にしていましたし、ホームシリーズはピーターという青年の物語より、スパイダーマンとしての物語が先行して描かれていました。
ピーターが、スパイダーマンという強烈なアイデンティティに依存していた青年の物語がホームシリーズなのです。
そしてスパイダーマンというある種の”Home”からの脱却が、本作が描かれた意義であると僕は思います。
MITに友人を入れたいという、かなり私的な想いが、巻き起こしてしまった世界の混沌、スパイダーマンとしての特権を活用していたことへの反動が返ってきた訳です。
ひとりの人間としてMITに直談判する姿勢が、まず考えることなのに、ドクター・ストレンジに魔法を使わせようという発想そのものが何よりもスパイダーマンへの依存です。
そしてシリーズで初めて起こした自分が発端の事件とそれと引き換えに失ってしまった大切な人、過去シリーズで描かれてきた自分の親しい者の”死”、本作ではメイおばさんを亡くしました。
そして”大いなる力には大いなる責任が伴う”というスパイダーマンが受け継いできたメッセージ。
若すぎるピーターがひとりで立ち直るには、あまりにも辛い現実だった訳ですが、そこで彼を助けてくれたのが過去の2人のスパイダーマンですよね。
自分と同じ境遇に立たされながらも世間にスパイダーマンという正体を晒すことなく、陰ながら”隣人”のために努めてきた過去のスパイディたちの経験と後悔がピーターを救いました。
そして最後は世界の平和と引き換えに、ピーターという存在を世界中の人々から忘れさせます。
恋人のMJからも、親友のネッドからも、そして世界を救ったアベンジャーズのメンバーからも、全員から忘れられることで、スパイダーマンに依存し続けてきた若きピーターの物語は終わりを迎え、今後は誰にも正体を明かさないスパイダーマンとして生きることを決めたのです。
「No Way Home」というタイトルはピーターがスパイダーマンへの依存から脱却し、これまでのシリーズで最も孤独なスパイダーマンの誕生とただの”ピーター・パーカー”が、一人の青年としての物語を歩み始める、ホームシリーズにおけるスパイダーマンオリジン作品だったと僕は感じました。
世界からピーターの記憶が消えた世界で、MJとネッドの元を訪れたピーターは、自分と関わらなくなったことで幸せを手にしたふたりを見て、自分のことを伝える事をやめます。
このシーンはあまりにも酷で、辛すぎるシーンでした。
自分だけが知っているというのは、時に残酷な場合もあるのだと考えさせられました。
ただ、ピーター自身の”覚悟”を感じる、MUC屈指の名シーンになりましたね。
考察2. 過去2シリーズへのリスペクト
本作は全くシリーズの異なる3人のスパイダーマンが共演するという、未だ映画史上で類を見ないスペシャルすぎるコラボレーションがありました。
本作は過去2シリーズへのリスペクトに溢れる素晴らしい演出が多々あり、ただの寄せ集めではなく、しっかりファンが胸熱くなる演出になっていました。
まずはサムライミ版の初代スパイダーマンに関して、印象的だったシーンを取り上げていきます。
彼はトム演じるスパイダーマンに対して、自分がベンおじさんを殺されたことへの復讐をしたこと、親友ハリーの父親であるノーマン・オズボーンを死なせてしまったことを強く後悔し、気持ちが晴れなかったことを打ち明けていました。
トム版のスパイディに、自分と同じ道を歩ませないように、グリーン・ゴブリンにとどめを刺すのを直前で止めに入りました。
辛い経験を経た初代ピーターだからこそ、あそこで動けたのだと思います。
ちなみに、このシーンは「シビルウォー/キャプテン・アメリカ」で、初代キャプテン・アメリカがアイアンマンに盾を突き立ててリアクターを破壊したシーンと同じポーズになっていることから、”憎しみ”や”復讐”を象徴していると思われます。
続いて、アメイジング・スパイダーマンに関しては、かなり印象的なシーンが2箇所ありましたね。
まずは、メイ叔母さんを亡くしたことで深く傷ついたトム版のスパイディに対して、自身も恋人であるグウェンを失ったことを打ち明け、その後のスパイダーマン活動がうまくいかなかったことを、涙ぐみながら打ち明けるシーンです。
このシーンで重要だったことは2代目スパイダーマンが、「スパイダーマンを続けたかった」と語っていることですね。
これは、ある種シリーズの製作サイド視点のメタ的な発言とも捉えることができて、アメイジング・スパイダーマンは当初3部作構成だったのですが、興行が振るわずに、「アメイジング・スパイダーマン2」で打ち切りとなっています。
本来の構成通りに製作したかったが、都合上難しくなったことを、あの場で説明してくれたと感じました。
そしてもうひとつ極めて重要なシーンは、アメイジング・スパイダーマンがMJを救うシーンで、自由の女神の崩壊に伴いMJが落下するシーン(スパイダーマンシリーズではお馴染みですが)、MJを助けようとトム演じるスパイダーマンが助けに向かいますが、グリーン・ゴブリンの邪魔が入ります。
どんどん落下していくMJを間一髪で救ったのは、アメイジング・スパイダーマンでした。
「ありがとう」と言うMJに対して、涙ぐみながら「大丈夫、大丈夫」というスパイディ。
自分の世界線では恋人のグウェンを救うことが出来なかったですが、この世界ではMJを救うことができた訳です。
彼が勇気を持って飛び出し、そして救えたことに安堵して流した涙。
もちろんグウェンは戻りませんが、できなかったことが「No Way Home」で叶ったのです。
いろんな感情が入り混じった表情は、素晴らしい演技でこれだけでも観る価値があるし、アメイジング・スパイダーマンが救われる為の物語でもあると感じました。
この一連のシーンは本当に嬉しくて、とても切なくて大号泣してしまいました。
僕個人としては「アメイジング」シリーズが一番好きだったので、2022年にこのような形で復活してくれたことが本当に嬉しかったです。
過去シリーズをただのカメオ出演、エンタメ要素に留まらず、このように素晴らしい取扱い方をしてくれた点は、全てのMARVELファン、スパイダーマンファンにとって至福のひとときでしたし、間違いなく「No Way Home」の質をグッと高めた要因でもあります。
考察3.アイアンマンとの絆
本作のテーマは”独り立ち”だったので、師匠アイアンマンの直接的な描写は少なかったですが、実は随所にアイアンマンとの師弟の絆を感じさせるようなシーンが散りばめられていたんですよね。
まず象徴的だったのが、スパイダーマンのコスチュームですね。
MCUのアイアンマンとスパイダーマンはコスチュームのバリエーションが豊富で、いちいち説明していると時間がなくなってしまうので本作でも細かく触れていなかったと思うのですが、本作でメインスーツとして扱われていた赤黒ベースにゴールドが入ったスーツは、インテグレートスーツという名称のコスチュームです。
ピーター・パーカー自身が開発したレッド&ブラックスーツは、映画序盤でミステリオ信者にペイントボールで汚されてしまったやつですね。
それとトニーが遺したアイアンスパイダースーツは、エンドゲームとかで着用していたものですね。
この二つを融合させた、まさに最強のインテグレート(結合)スーツなのです。
アイアンマンの意志とピーターの意志が重なった、絆を感じさせるスーツだった訳です。
どのスーツもカッコよくて、ある意味スパイダーマンの象徴なので、細かいところまでこだわりを感じることが出来て、とても満足出来ました。
あと印象的だったのは、ハッピーのコンドミニアムにトニースタークのロボットアームが置かれてたことです。
世間の目から逃れるためにハッピーのコンドミニアムを住処にしていたピーターは、すぐにロボットアームのDUM-Eと仲良くなっていました。
トニーと同様にピーターのことも、気に入っていました。
「ファー・フロム・ホーム」の飛行機のシーンでも、アイアンマンさながらの開発シーンがありましたが、アイアンマン亡き今、MCUの中心になるのは、やはりスパイダーマンですね。
まとめ
以上で、「スパイダーマンNWH」の考察を終わっていきます。
ホームシリーズのスパイダーマンは本作までのトリロジーで契約終了ですが、MARVELは新たに、トムホランドを主演に据えた3部作構想をしているという噂がありますし、エンドクレジットシーンでヴェノムの欠片がマルチバースへ戻らずに居座っていたので、大人へと成長したピーターの新たな活躍がいつかスクリーンで観れると嬉しいですね。
また、直近だとマルチバースに踏み込んでしまった代償として、ドクター・ストレンジが尻拭いをする「ドクター・ストレンジ/マルチバース オブマッドネス」が、5月に公開を予定されています。
そしてその監督は初代スパイダーマン3部作を監督したサム・ライミということで、まさに歴史が、円環を成していると感じました。
MARVELは私たちをまだまだ楽しませてくれそうです!
次回の作品も楽しみですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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