こんにちはSATOです。
今回は映画「皮膚を売った男」を3つのポイントから解説していきます。
映画「皮膚を売った男」は、2021年に公開されたカウテール・ベン・ハニアのスリラー映画。
この映画は背中をアート作品にした男の物語です。
彼はなんのために自分を商品にしたのでしょうか?
それでは、本文へどうぞ。
映画「皮膚を売った男」のあらすじ
シリア内戦から逃れ、レバノンで難民として暮らすサムは、当局の監視下にあり、自由に移動することが許されていませんでした。
彼は、シリアに残してきた恋人アビールとの再会を夢見ていました。
そんなある日、サムは現代アートの巨匠であるジェフリーと出会います。
ジェフリーは、サムの背中にタトゥーを施し、彼自身をアート作品として売り出すという奇抜な提案をします。
アート作品となれば、パスポートなしで世界中を自由に移動できるというのです。
自由とアビールへの想いを叶えるため、サムはジェフリーの提案を受け入れます。
彼の背中には、難民たちの苦難を表現した美しいタトゥーが施されました。
サムは「作品666」として、高額で取引されるアート作品となります。
国境を越え、様々な場所を旅するサムは、次第に自身のアイデンティティに疑問を抱き始めます。
彼は作品として所有され、展示されることに抵抗感を覚えるようになります。
そして、真の自由とは何か、人間としての尊厳とは何かを模索していくのです。
映画「皮膚を売った男」を筆者が3つのポイントから考察
考察ポイント1:「自由」と「不自由」
アートそのものは自由を体現したような物ですが、それが人の体に掘られるのは話が変わってきます。
展示会ではずっとその場に座ったままで、観客たちはサムを人間としてではなく自分の背中に書かれた絵に興味があるのです。
国境を超えて自由になるためアートになったのに、不自由な生活をするようになってしまいました。
それにしても厳しい環境に生まれ、好きな人との結婚ができなかった彼に待ち受けているのがこんな生活だなんて、報われないですね。
ポイント2:二面性
今作はサムが人間として生活しているシーンと、作品として生活しているシーンの二つで構成されています。
サムが人間として生活しているシーンでは、鏡に映る自分を見ていたり、画面を2つに分けている構造になっていたりと、何かと二面性が強調されています。
この二面性とは、以下の2つです。
・アート作品になることで得た「自由」と作品として生きていく「不自由」
・アビールと会えるという「希望」と自分の生きている場所に対する「不安」
主人公の心理描写をセリフではなく描写によって伝えているのが面白いポイントだなと感じました。
ポイント3:主人公は素人?
本作の主人公サムを演じたヤヤ・マヘイニはプロの俳優ではなくシリヤに住む弁護士で、今回のような映画作品は初めてだったそうです。
演技の稽古などをあまり受けてないからこそ、主人公の設定がよりリアルに感じられたのだと思います。
本人の意思に反して周りの人から物のように扱われ、値付けされ、作品として飾られる。
周りの環境や情勢に対して無力な1人の人間を演じるためには、彼のような普通の人間が適任だと感じました。
まとめ
今回は映画「皮膚を売った男」についての考察でした。
社会問題をアートで表現した、秀逸な作品でしたね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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